放課後ティータイムは練習してる

吾妻ひでおの発言に端を発したのか、Twitter上で「けいおん!」批判が巻き起こっていたようだ。


読んでみたら、音楽(バンド)の描写が足りないこと、「練習していない」ことへの批判が目に付いた。本当にそうだろうか?

例として、象徴的なカットを。

実は12話「軽音!」でいちばんぐっときたカットがこれ。

いわゆる指回しなんだけど、フィンガリング(指使いですね)の向上に効果があるとかないとかいわれている。ギター始めたばかりのころ、コレとか左薬指で机たたいたりとか中指と薬指の間に物を挟んだりした経験のある人は少なくないんじゃないかなあ。憧れてたギターを手に入れたはいいものの全く思うように弾けなくて、上手くなるため手当たり次第ためしてみる。唯がどれだけギターに夢中だったかが、よく表れたカットだと思う。

このカットに憂がいるのでついでにいえば(これはかなり妄想ぎみ)。憂があれだけギター弾けたのは、唯以上の超天才だというネタの他に、唯の練習に付き合ってる時間が膨大だったから。つまり唯は家でかなり練習していたということ。

「練習」というのは個人練習がメインで、バンドで合わせる練習を毎日何時間もやるってことはあまりない。高校の軽音部は、たいてい複数のバンドがひとつの練習場所を割り振って使うことになるので、個人練習をきっちりやって合わせるときは集中して週に数時間、というのが基本。桜高軽音部は1つしかバンドがないわけだけれど、だいたい同じようなペースになってるはず。(初めてバンドに入った梓にはこのへんがわからなかったんだろう。)

まあ、こんなの同じような道をたどってきた人にしか伝わらないわけで「もっとわかりやすく表現しろよ」という批判はあって当然。でも、音楽が描かれていないという批判はちょっと違うんじゃないかなあ。

さらに妄想。

放課後ティータイムの音楽的な中心は、ソングライターのムギ。問題はギターパートのアレンジを唯がやったのか、ムギがやったのかということ。実はムギは全パートできるんじゃないかと思っている。スタジオ付きの別荘がいくつもある環境を考えたら、有り得なくもないと思うんだけど。「ふわふわ時間」とかギタリストが作ったっぽい曲だし。4話の「負けないと思う、私たちなら」の自信はそのへんからきてるんじゃないかという、自分の脳内設定。