「かなめも」を観た。

石見翔子による原作のファンとして、少し前に読んだこの2つの記事に違和感を持った。

気になったのでDVD借りてきて全話を見終えた。あれだ、完結していない石見作品をアニメ化してはいけない。これに尽きると思った。

石見翔子の前作「スズナリ!」は、「とつぜん現れたネコミミ妹と姉の百合風味4コマ」といってしまうこともできるが、「死と別れ」が主題。時折はさまれる不穏なエピソードが伏線として機能し、ラストに向かって収束する展開が見事だった(そのラストも単純なハッピーエンドではない)。近作「flower*flower」も同様に、表面的には可愛らしい百合マンガでありながら、謎と謀略が渦巻く作品世界だ。*1萌えとダークさのギャップ、丁寧な伏線とその回収が石見翔子作品の魅力だと思う。

そして原作「かなめも」。現在刊行されている3巻の時点で、例えば…

  • かなが専売所に来ることになった「早とちり」の真相(3巻p39・おそらく代理は知っている)
  • 代理が専売所を守る理由(1巻p101)
  • ユメとユーキの過去・久地院家との関係(2巻p109,3巻p26)
  • 美華の過去(1巻p104・ただしギャグの可能性はある)*2
  • 「キレイなはるか」の過去(3巻p62-)

…といったことが仄めかされている。どれも魅力的な話になり得るもので、作品の駆動力になっている。おそらくラストが近づけば明らかにされるだろう。アニメ版では存在していないか軽く流された部分だ。*3
替わりに駆動力になったのは「おばあちゃん」の存在と、アニメオリジナルキャラの「まりも姉さん」だが、正直言って弱い。かなのいない専売所の象徴であるまりもとの出会いによって自分の居場所への不安が解消され、仲間から贈られた日記帳*4におばあちゃんへのメッセージを綴っていく、というラストはきれいな流れだとは思うけれど。風新新聞専売所の「日常」が、ぎりぎりのバランスで、あるいは彼女たちの努力によって成立している原作*5に対し、アニメ版の「日常」は約束されたものに見える。不穏なイメージのシーンが乖離して見えるのはそれが理由じゃないかと思う。

シリーズ構成の部分で不満はあるが、完結前のアニメ化だったのでしょうがないことかもしれない。メイン声優陣の演技(特にユメの広橋涼はいま並行してカレイドスターを見てるせいもあって気に入った)、ていねいでよく動く作画など見どころも多かった。特に、写真取り込みと水彩画の中間的な味があった美術はよかったと思う。

*1:元々シリアスな作品として構想されたことも理由のひとつだろう

*2:美華の過去についてはアニメオリジナルで追加された部分も存在する

*3:制作時にはまだ書かれていなかった話もある

*4:原作でも良エピソードだが最終回になるとは…

*5:だからこそユメの「みんなで倖せになろーね」のセリフに価値がある